2013年07月01日

つぶやき#113 50周年その1

 今年2013年は、リハビリテーション医学会の創立50周年にあたる年である。
 この後、2015年にPTOT誕生50周年と続くわけであるが、この50年でリハビリテーション、そして理学療法はどのように変わったのであろうか。私自身、昭和59年(1984年)に理学療法士になって29年が経った。30年の節目を迎え、諸先輩方の偉業を振り返りつつ、この30年から我々の業界がどのように変わってきたのか、変遷を二回にわたって述べてみたい。
 まず第一に、PTの数の増加、何にもましてこれである。私がPTになった当時、茨城県に就職したのだが、私の前にPTは県内で50人程度しかいなかった。毎年の県学会に行くといつも同じ顔ぶれという有様であった。現在、茨城県のPT数は1400名以上である。当時PTの養成校数は38校、全国のPT数は4000名程度だった。それが今や10万人を超え、会員数では平成22年に米国を抜いて世界一となった。まさか当時にPTがこれほど増え、世間に認知される職業になろうとは思わなかった。
 そして第二には、理学療法の対象者の変化である。過去には、とにかく多くの様々な患者さんを担当させていただいた。脳卒中・整形疾患・脊髄損傷・切断・小児・難病・糖尿病などである。しかしそれでも癌の患者や重度の呼吸器疾患、急性期を過ぎたばかりの心疾患などは対象外であった。それが今やこういう患者も理学療法をするのは珍しくなくなってきた。また、対象者の平均年齢がぐんと上がった。私が最初に勤めた病院は高齢者の多いリハビリ専門病院であり、70歳代以上の高齢者を多く診させていただいたが、今やさらに高齢の80歳代はもとより、90歳代も珍しくはなくなった。まあPTの数が増えているのだから、ある意味当然のことではあろうが、この30年、日本の社会は少子高齢化で医療費は膨れあがり、介護保険という裏技を使いしのいできたが、まさに団塊世代の後期高齢者突入の時代を迎え、保健行政が待ったなしの状態である。この切り札として我々PTが活躍してきたと言っても過言ではないであろう。
 そして、第三には質の向上である(これは見方によっては諸説あろうが)。私のPT取得時代はまだ大学の養成課程はなく、すべてが専門学校、しかも大多数が3年制の養成機関だった。その後、大学が出来、大学院での修士・博士課程がスタートしたのは私が茨城から千葉に転出した頃であろうか。スタートがそういう状況だったわけであり、量だけでなく質の点でも短い期間で高度化を果たしてきているのである。現に、私の学生当時は「研究法」や「地域理学療法」などは科目すらなかった時代であった。
 本当にこの30年で何もかもが変わった。まさに隔世の感がある。今思えば、当時はあんなに狭い世界で何を細々と周りを気にして部課を盛り立てていたんだろうか。井の中の蛙であり、また大海の荒波が怖く、人間の器が小さかったことよ。しかしそういう時代を経て、また老人保健法などの追い風を経て、我々の職種も少しずつ社会の中で認められ、大きく育っていったのである。「青春時代の真ん中は道に迷っているばかり」という歌詞もあるが、まさに我々PTの青春時代もそのような状況にあったのだ。
 さてこのように激動の保健行政の波に乗り、発展を果たしてきた我々PTであるが、変化が急であればこその大きな問題が合併症のように横たわっている。次回はそのあたりを述べてみたい。乞うご期待。
posted by pt_onuki at 05:07| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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