2014年07月01日

つぶやき#122 歴史に学べ その1

  先日、講義をしていてはたと気がついたことである。
  その時は違う目的で違う意図の話を組み立てていたのだが、気がついてしまった。そう、歴史から学ぶ必要性、何事もあきらめずに制度を変えてやるという気概を持つことの重要性を。
 二回に分けて歴史の話をしよう。
 時は二十世紀、まだ老人保健法で今のデイケアの代わりを地域の保健センターが肩代わりしていた時代、そう介護保険の生まれる前の話である。
 こう書くと若いセラピストの方は驚くかもしれないが、今でこそ当たり前に介護保険で通所サービス事業が花盛りだが、それでは介護保険がない時代は障害を持ったお年寄りはどうしていたのか?
 何もない時代だった。セラピストの数も今でこそ10万人を超えているが、私が免許を取った頃は4000人いなかった時代である。まだ病院にしかセラピストはおらず、しかもどこでも忙しかったし、自分たちの仕事は待っていればよかった。当時は一日に45人まで理学療法を提供できた(当然マンツーマンではないが)し、世の中にこれほど患者があふれている職場もないと思っていた。
 しかし、せっかく治して退院していただいても、またすぐ患者さんが戻ってきてしまう。何ともやりきれない気持ちにさせられたものである。そう、退院指導や家屋評価、在宅の視点がすっぽり抜け落ちていたからである。
 今でこそ、そんなことはないし、学校でもそういう教育が当たり前だが、当時はまだ「地域リハビリテーション」「地域理学療法」という科目すらなかった時代である。
 私は、ある恩師との出会いによって、その後、在宅でのリハビリテーションや通所事業の先駆けと関わることになる。そして、老人保健法の改定により、地域保健事業としての理学療法の隆盛の時代を迎える。
 集団訓練のやり方、体操やレクレーションの工夫、退院して行き場のなかった片麻痺高齢者の方々の辛さと事業に参加しているときの生き生きとした表情、あくまで治療にこだわる対象者への説得と家族への敬意、どれをとっても懐かしく、瞼の奥に焼き付いている。そうそれは病院では味わえない、地域での対象者の素顔であった。
 自分の環境が恵まれていたのであるが、当たり前だが待っていてもどんどん患者さんがやってくる中において、我々が外に出て行くのは歓迎されなかった。在宅に結びつく保険点数上のメリットは当時まだ何もなかったのである。それほどに地域でのリハビリテーションは遅れていたし、セラピストは数が足りなかった。(つづく)
posted by pt_onuki at 04:56| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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