2015年02月01日

靴脱ぎ文化に思う

 今年の正月に、私の地元にある牛久大仏へ行って思ったことがある。
 正月で神事を行っており、この名物である大仏の展望台へ上れなかったことは残念だが、今回はそんな些末なことを書きたいのではない。
 このときに驚いたのは、この大仏像(というより建造物)の中に入るのに靴を脱いで入ると言うことである。よく考えてみれば、御仏の体内に入れていただくわけであるから、土足ではまずい、となるのであろうが、さらによく考えると日本では必ずと言っていいほど玄関で靴を脱ぐ。西洋の文化ではこうはしないし、東京タワーもスカイツリーも靴を脱いで上がったりはしない。
 リハビリテーションとは違って宗教の話となってしまったが、建物に入るときに靴を脱ぐ文化というのは、屋根のある場所が本来は神を祀る場所であり、日本人は神殿の中で暮らしているというような意味があるのではないだろうか。無宗教と言われるような日本の宗教文化にどうこう言うつもりはない。しかし西洋では靴を脱ぐのはベッドで横になるときであり、起きて一歩を踏み出すのに必ずと言っていいほど靴を履く。これが我が国で装具が生活になじみにくい原因となっていることは無関係ではないであろう。  
 さらにこの靴脱ぎ文化がすなわち地域リハビリテーションにおいてバリアの発生に結びつき、西洋の福祉機器とは違った需要や特性を生み出しているのである。このように考えると、宗教と地域リハビリテーション(というよりは生活環境支援の方法論か)における関係についていろいろと考えが浮かんできて大変興味深い。
 仏様の体内から出てきて、それまで自分の靴を入れて持って歩いていたポリ袋の山をみながら、仏様はこのエコロジーな世の中にこれを見てどう思うかな、と考えてしまった。大仏を離れるときに宙を舞っているポリ袋をみて、なんだか肝心なところがずれているのは今のこの国の象徴と似ているなあという気持ちになってしまった2015年の正月であった。
posted by pt_onuki at 04:32| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 地域理学療法学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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