2016年05月01日

つぶやき#142 言論の自由は不自由

 2016年4月16日、熊本県で大規模な地震が起きた。これを書いている現在もまだ余震は続いており、今後の動向から目が離せない状況である。5年前のあの東日本大震災の記憶がまざまざとよみがえる。亡くなられた方へのお悔やみ、被災された方へのお見舞いを申し上げるとともに、一刻も早い事態の沈静化と復興をお祈り申し上げます。
 さて、今回の災害では5年前と比べてSNSが安否確認やライフライン確保のためにずいぶん活躍しているようで(一部LINE電話の不備のような事例はあったが)、確実にSNSが日常の中に浸透し役立っていることが見て取れたことに時代の変化を改めて感じた。同時に、まだまだSNSをはじめこの新しいムーブメントになじめない事態が起きていることも事実である。それは具体的には、今回もお笑い番組の自粛という形で表れ、それを批判する立場(本田圭佑・堀江貴文)、受け容れる立場(尾木直樹)で世論の空気が二分したことにも表れている。確かにFacebookやTwitterなどでは知りたくない、目障りな情報も流れてきてしまう。流した本人は重要な情報として拡散したとしてもそれが全ての人に等しく同じ重さになるわけではないのである。東日本大震災を経験した人でまだ気持ちが癒えていない人なら知りたくないと思う場合もあるだろう。また先ほどの例を挙げれば、逆にこの非常時に楽しみを希求するような呟きはけしからんという意見もある。私などはいろんな人がいて良いし、暗く沈みがちなこういう時期だからあえて楽しい呟きを欲する気持ちを大切にしたいと思うのだが・・・。いずれにしても情報の取り扱いについて、送る方も受ける方もまだまだリテラシーが成熟していないのである。情報の取り扱いというのはそれほど人間の中で身近でありながら手段として難しいと言うことなのだろう。
 また同時に、言論の自由がこれすなわち不自由であることも肝に銘じなければなるまい。この災害の少し前、某市の認可保育所の建設が地域の住民の反対で取りやめになった。これについての論調も保育所側に立ち、地域の住民が悪者にされた感があるが、実際は誰が悪いと言う話ではなく、行政の仲介不足もしくはボタンの掛け違えのようである。これについても思ったことは、今の世の中には批判を言った者勝ちのような風潮があり、逆にこういう結末が怖くて最近は情報発信も当たり障りのない内容をと非常にナーバスになっている(私も言葉遣いに大変気を遣う)。この国は村社会の影響なのか、他人との関係性の築き方が上手でない人が多いように思う。自己主張する方も受ける方もギスギスしてしまいがちなのはどうにかならないものだろうか。あの不倫槍玉やスポーツ選手の不祥事槍玉はちと度を超して袋だたきにしている感が否めないのだが・・・。この国の民度がしれるというか、暮らしやすい世の中からどんどん遠ざかっているような気がする。SNSのリテラシー以前にこちらの民度が改善しないと駄目なのかなあと思う。
 今回は否定的な結論で終わってしまったが、こういう世の中だと言うことをまずは認識することから始めなくては何も変わらないからね。まずは一歩からということで。
posted by pt_onuki at 05:01| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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